平安時代の歌合

遊戯的な性格が強いと指摘しましたが、単に歌の勝ち負けを競うばかりでなく、衣装、焚き込める香、飾りとして用意される州浜その他のグッズなど、いわば美的センスを競い合うゲームという意味合いが強かったようです。平安時代に数多く行われているこうした歌合の中でも、村上天皇が開催した天徳内裏歌合はその華やかさで有名です。
歌合のひと月前に天皇から「御題」が発表され(これは「兼題」ですね)、左右ともに歌合までにその題に相応しい和歌を詠みます。天徳内裏歌合は、左方に藤原氏・右方に源氏が番えられており、歌合に勝つために双方が優れた歌人を揃えるわけです。藤原氏壬生忠見を、源氏は平兼盛を抜擢。この二人は最後の勝負でそれぞれ名歌を詠んでいます。
左:恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
右:忍ぶれど色にいでにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで
判者の左大臣藤原実頼は勝敗を決めかねていましたが、村上天皇が御簾の中で右の歌を呟いたことで、最後の勝負は右すなわち兼盛の勝ち。両歌とも『百人一首』に入っているので知っている人も多いのではないでしょうか。この勝負で敗れた壬生忠見はショックのあまり拒食症になって他界。一方の平兼盛はこれを契機に出世したという、勝ち組・負け組のお話。