俊成の判詞

講義の時にも述べましたように、全体を通して公正かつ教育的な見地で判を下す(=加判)ことを心がけていたようです。親バカの汚名返上といったところでしょうか。
歌合の勝負は「なんとなく気に入ったから」などという判者の感覚的な好みで決まるものではないのです。判者が歌の優劣を決定する際には、判者は自分の判断が正しいことをきちんと言語化して示す必要があります。つまり、自分自身の見識を明らかにして、勝敗の根拠を一同の前で示すことが求められるわけですね。それができないような歌人はそもそも判者になれませんし、説得力のない判では己の力量のなさを露呈することになりますから、責任重大。『六百番歌合』のような大がかりな歌合でなおかつ単独判者による加判の場合、そこで語られる判者の和歌についてのもろもろの蘊蓄は、歌論とかなり近い位相にあることに注意しておくべきでしょう。