美福門院加賀

歌壇の重鎮藤原俊成をメロメロ(死語)にした女性。あそこまで想われるなんて女冥利に尽きるとわたしも羨ましく思います(笑)。
例の俊成の
まれにくる夜半も悲しき松風を絶えずや苔のしたに聞くらむ 
と定家の
たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風
の二首を比較して塚本邦雄氏は、

定家のがたとえば新撰朗詠集の「故郷有母秋風涙 旅館無人暮雨魂」を思わせつつ、抑揚きわやかに涙よりむしろ涙のきらめく秋風に発想の中心をおいている感があるのに対し、俊成のはまさに悲調肺腑を衝き腸に沁む感を湛えている。
(『藤原俊成・藤原良経』筑摩書房「日本詩人選23」,1975)

と述べています。俊成のはまさに「魂の叫び」ともいうべき歌ですよね。
ところが、美福門院加賀についてはほとんど一次資料がないのです。相当な才媛だったはずなのに、勅撰集への入集は、プリントに載せた俊成への返歌と定家の昇進を喜ぶ歌のみ。『新勅撰集』は定家が撰者ですので、あの歌を入集させたことは母親への思いの現れとみて良いでしょう。