ぼちぼち、コメント返し

  • モトキさん

文の積極的活用が阿仏尼の真骨頂だったともいえるでしょう。本当は『乳母の文』(これも相当面白い)も丁寧に読みたかったのですが、タイムアウト。目を通しておいてくださいね。

  • ヨシダさん

手ずから髪を切っても、飾りを落とすことにかわりはないという意識です。まあ、紫上はそれもできなかった(というか、紫式部がそれを許さなかった)のですから、彼女の猪突猛進っぷりがわかるというもの。中世の女性の中ではこの阿仏尼と後深草院院二条が際だってキャラの立った人物なので、最終回もお楽しみに。

  • カナザワさん

「源氏」以前と「源氏」以後で、文学のあり方は劇的に変わったといっても過言ではないでしょう。人々が「源氏」をいかに貪欲に取り込んでいったか。『蜻蛉日記』などの作品と比較するのは確かに有効な視点だと思いますよ。

  • マクウチさん

確かに、行動力溢れる彼女のような人は、現代にいてもまったく違和感がない気がしますね(笑)。彼女が御子左家分裂の火種となったことは疑いないけれど、『十六夜』や『乳母の文』に流れる母心には胸を打たれます。

  • ナカアキさん

中世の女性は結構行動的なところがあるのですが、中でもこの阿仏尼は「思い立ったら即動く」というタイプ。そのフットワークの軽さに共感する人も多いかも知れませんね。

  • コヤさん

夫亡き後、まだ年端もいかない子供(為相・為守)を自分が育て上げていかなくてはならない。そんな責任感は、否が応でも、彼女にある種の「鎧」を着せることになる。しかし「手紙を書く」ときだけは、その鎧を脱ぎ捨てることができたのではないでしょうか。

  • ヤナギサワさん

嵯峨院から両統迭立というのは、中世史の中でも実はかなり重要なポイントです。文学と歴史の関係がここでも看過できなくなってきますので、これを機会にじっくり取り組んでみてください。

  • ダテさん

この時代になると、「源氏」はカノン(聖典)として君臨しているんですよね。だから、どんな作品もその呪縛(あえてこう言う)から抜けられない。それを逆手に取っていったのが、『うたたね』であり『とはずがたり』であったと。「源氏ごっこ」、あなたはどの女君?(笑)

  • ワタナベさん

源氏物語』をただ読むだけでは飽きたらず、それを新しい作品を生み出す際の原動力にしていこうとするのが中世の特徴かもしれません。田渕論文はいろいろなことを示唆してくれますので、熟読しておいてくださいね。

  • ヤナガワさん

人がいてはじめて文学が生まれるわけですから、作品だけ取り上げてもあまり意味がない。そういうスタンスで、意識的に「人」を前面に押し出して来たつもりです。人間くさい阿仏尼の姿を感じてくれたなら、これに過ぎたる幸いはなし(笑)。

  • ハシモトさん

「源氏ごっこ」が成立するには、同じサークル?の人たちがみな「源氏」のたしなみがあるのが大前提。それこそ「あさきゆめみし」全巻を熟読して、全部びしっと頭に入っているぐらいのレベルで。教養が必要とされる「ごっこ遊び」なのです。

  • アオヅカさん

嵯峨院時代はしばしば、「宮中の風紀が乱れてすこぶる退廃的な時代だった」的な説明で片付けられることがあるのです。そういう側面は確かにあるにせよ、「デカダンス」だけで片付けてしまうのはちょっとどうかなと思うんですよね。「源氏」享受の問題は結構面白いですよ。

  • トヨフクさん

今わたしがこうやって書いているコメントだって、一種の「消息」のようなもの。まあ、似て非なるものですが(笑)。そうやって考えてみても、消息文の機能というのはよくわかりますよね。

  • ムトウさん

「あの迷惑変態兄弟」に爆笑!言い得て妙すぎ。高校までの文学史ではあまり「後嵯峨院時代」を意識させられることはないと思うので、本当はこのあたりのトピックについてはもっとじっくりお話ししたかったんですけどね。「安易な定義づけ」に頼りすぎないということは、どのような作品を研究する上でも重要ですので、今後もそういうストイックな姿勢を持ち続けてくださいな。

  • ナガヌマさん

「さへづる(囀る)」はたとえば『源氏物語』「明石」巻に「あやしき海士どもなどのさへづりあへるも、いとめづらかなれど」という一節があり、早くから、自分の耳に聞き慣れない言葉をぺちゃくちゃやられたときに用いられる語でした。阿仏尼はもしかしたらこの辺も「源氏取り」しているのかもしれません。索引などで「さへづる」をいろいろ調べてみてください。

  • タニザキさん

『うたたね』だけ、あるいは『とはずがたり』だけ読んでいると、「源氏の女性に我身を擬えるなんて、ナルシストな!」とその作者の個性として片付けてしまいたくなってしまうわけですが、こういった作品が同じ時代に出ているという視点から考えれば、これらはまさに時代の申し子的な作品ということができるでしょうね。

  • タキガワさん

紫式部日記』にも消息文の部分が混入しているといわれます。例の「清少納言ってオンナはほんっとに鼻持ちならないんだから」というあの部分なんかもそうです。関連論文がネット上で読めますので、お時間があったら目を通してみてください。http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00012376/Body/016000050006.pdf

「源氏ごっこ」は婦女子のみのお遊びではなかったようで、『とはずがたり』を読むと、後深草院は自分自身を光源氏に擬えていたらしいことがよくわかります。自分の乳母で、冷たい母親・大宮院の代わりに愛情を注いでくれた(新枕の手ほどきもしてくれた)典侍大の忘れ形見である二条を手元に置いて養育しようとしたのは、まさに源氏気取りの証でしょう。

  • スズキ(チ)さん

そう、現代の尺度で古典の世界を測ってはいけない。これは、いつでも肝に銘じていなくてはいけないことだと思います。その時代の空気を想像しながら作品と向き合うのは口で言うほど易しいことでもないのですが。『十六夜日記』はそれほど長くないので、新全集で読んでみると良いですよ。

  • タナカさん

「阿仏尼」という抹香臭い名前が、なんとなく彼女のイメージを規定してしまうようなところは確かにありますね(笑)。どちらかといえば、瀬戸内寂聴あたりが彼女の姿に重なるかな。もっとも、寂聴尼には「家を守り、子を育てあげる」という意識はあまりなかったようですが。

  • トリウミさん

為家にとっても50過ぎての子供でしたが、阿仏尼にしたってかなりの高齢出産ですから、「歳を取ってからの子は可愛い」を地でいくような溺愛ぶりだったのではと想像されます。だからこそ、我が子の権利を守るべく、はるばる鎌倉まで訴えにも行ったのでしょう。母の愛は強し。

  • スズキ(ヒ)さん

阿仏尼イコール『十六夜日記』というのが高校の文学史ですからねえ。本当は、『うたたね』から『十六夜』そして『乳母の文』という流れを押さえた上でないと、彼女の全体像の半分も見えてこないのです。あと、為家との贈答歌もね(笑)。

  • ウダガワさん

「源氏ごっこ」に関しては、岩佐美代子先生の『宮廷の春秋 歌がたり女房がたり』あたりを読んでいくと、なんとなくイメージが掴めるかも知れません。レジュメもプリントも膨大な量になっていますが、中世文学について真面目に勉強する(させられる)機会、後にも先にもないでしょう(笑)。頑張って下さい。

  • ヒラツカさん

阿仏尼は知と情が絶妙なバランスを保っていた女性だと思います。だからこそ、あのような作品を世に残すことができたのでしょう。時間が足りず、授業で扱いきれなかった論文なども沢山ありますが、要らないものは配っていません。冬休み中にしっかり目を通しておいて下さい。