少し気が早いですが

出されている質問へのお返事など。

  • 20711131ヒラツカさん

「屏風歌」の方が例は多いですが、「障子歌」も珍しいものではありません。たとえば、摂関家の女子が入内する際の嫁入り道具(というか調度品)として障子和歌を誂えるとか、そういった晴のイベントとしてのコラボレーションと考えておけばよいと思います。

「障子」は現代の「明かり障子」とは違い、部屋を隔てるための調度品で、今でいうところの衝立、襖、屏風のようなものです。ですので、屏風に似ているというご指摘はビンゴ、なのです(笑)。

  • 20511130ムトウさん

これはちょっと説明不足でしたね。お配りした『毎月抄』の別の箇所には

去る元久頃、住吉参籠の時、汝月明らかなりと冥の霊夢を感じ侍りしによりて、家風にそなへんために明月記を草しおきて侍る事、身には過分のわざと思ひ給ふる。かやうのそぞろごとまで申し侍る事、いとどかたはらいたうぞ覚え侍る。

と「明月記」を書いたという記述があります。これによって、定家が日記の『明月記』と、歌論書の『明月記』を書いたらしいことがわかるのです。定家の歌論書としての『明月記』は現存しませんが、この『毎月抄』の記事を知っていた後人が自分の著作に『明月記』という名を付け、定家に仮託した、ということです。