怨霊としての後鳥羽院

太平記』巻27「雲景未来記」に次のような記述があります。崇徳院後醍醐天皇らと共に愛宕山で天狗となっている院の姿はなかなか壮絶なものがありますね。

 又此比天下第一の不思議あり。出羽国羽黒と云所に一人の山伏あり……官の庁の辺より年六十許なる山伏一人行連たり。彼雲景に、「御身は何くへ御座ある人ぞ。」と問ければ、「是は諸国一見の者にて候が、公家武家の崇敬あつて建立ある大伽藍にて候なれば、一見仕候ばやと存じて、天竜寺へ参候也。」とぞ語ける。「天竜寺もさる事なれ共、我等が住む山こそ日本無双の霊地にて侍れ。いざ見せ奉らん。」とてさそひ行程に、愛宕山とかや聞ゆる高峯に至ぬ。
 誠に仏閣奇麗にして、玉を敷き金を鏤めたり。信心肝に銘じ身の毛竪ち貴く思ければ、角てもあらまほしく思処に、此山伏雲景が袖を磬て、是まで参り給たる思出に秘所共を見せ奉らんとて、本堂の後、座主の坊と覚しき所へ行たれば、是又殊勝の霊地なり。爰に至て見れば人多く坐し給へり。或は衣冠正しく金笏を持給へる人もあり。或は貴僧高僧の形にて香染の衣著たる人もあり。雲景恐しながら広庇にくゞまり居たるに、御坐を二帖布たるに、大なる金の鵄翅を刷ひて著座したり。右の傍には長八尺許なる男の、大弓大矢を横へたるが畏てぞ候ける。左の一座には袞竜の御衣に日月星辰を鮮かに織たるを著給へる人、金の笏を持て並居玉ふ。座敷の体余に怖しく不思議にて、引導の山伏に、「如何なる御座敷候ぞ。」と問へば、山伏答へけるは、「上座なる金の鵄こそ崇徳院にて渡せ給へ。其傍なる大男こそ為義入道の八男八郎冠者為朝よ。左の座こそ代々の帝王、淡路の廃帝・井上皇后後鳥羽院・後醍醐院、次第の登位を逐て悪魔王の棟梁と成給ふ、止事なき賢帝達よ。……」とぞ語りける。