歌語り・歌物語と「けり」

  • 『大和物語』第一五〇段

昔、ならの帝につかうまつる采女ありけり。顏容貌いみじうきよらにて、人々よばひ、殿上人などもよばひけれど、あはざりけり。そのあはぬ心は、帝をかぎりなくめでたき物になむ思たてまつりける。帝召してけり。さて後又も召さざりければ、かぎりなく心憂しとおもひけり。夜昼心にかゝりておぼえ給つゝ、恋しくわびしうおぼえ給ひけり。帝はめししかど、ことともおぼさず。さすがにつねにはみえたてまつる。なを世に経まじき心ちしければ、夜みそかに猿澤の池に身を投げてけり。かく投げつとも帝はえしろしめさざりけるを、ことのついでありて人の奏しければ、きこしめしてけり。いといたうあはれがり給て、池のほとりにおほみゆきしたまひて、人々に歌よませ給。柿本の人麿、
わぎもこのねくたれ髪を猿澤の池の玉藻とみるぞかなしき
とよめる時に、帝、
猿澤の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし
とよみたまひけり。さてこの池には、墓せさせ給てなむ歸らせおはしましけるとなむ。

上の例文を見ると、「けり」がほとんど全ての文末に置かれていることがわかります。「けり」と「き」という過去の助動詞は大抵ペアで覚えさせられると思うのですが、一般的によく「けり」は伝聞過去で「き」は直接過去などと言いますね。授業でも言及した通り、私は「現在とつながっている過去」「現在からは断絶してしまった過去」という形で理解しているのですが。伝聞過去というのは「という話だよ」「〜とさ」といった具合に、人から聞いたことを述べているので、昔の出来事がずっと現在までつながっているというニュアンスが強く出てきます。だから、古歌の詠まれた由来をまことしやかに語る歌語りや歌物語の文体にふさわしいのです。この「けり」を全て「き」に置き換えてしまうと、説明的な印象が強くなってしまい、「昔こんなことがあったんだよ」という昔話的なニュアンスが消えてしまうのです。この辺について興味のある人は、来年度の日本語史や日本語学演習で勉強して下さい。そして、知り得たことを私にいろいろ教えてくださったりすると嬉しいです。