コンプレックス

  • 20711123ハシモトさん

授業でも説明したように、京都の公家社会ではどうしても「事務手続き上の重要な機能としての天皇」が必要だったので、後白河の院宣というのを錦の御旗に後鳥羽を即位させたわけです。ですので、非難というより「イレギュラーなんだけどあの場合は仕方なかったんだよね」という感じだったのではないでしょうか。しかしながら、本人にとっては「三種の神器がないまま践祚・即位した」というのは自らのレゾンデートルに関わる大問題。立場上、どうしたって自意識過剰にならざるを得ないわけで、必要以上に王権を意識することになった、と。