隠岐の後鳥羽院

  • 20611126マクウチさん

流されたとはいえ、上皇。『源氏物語』須磨巻を思い出してもらえばおわかりのように、いわば軟禁状態であるというだけ。数少ない供の者(女房その他)とともに、源福寺境内に設けられた行在所にて、修行の日々を過ごしたといわれています。和歌は仏道に通ずるものだということもあって、和歌を詠むことだけはやめなかったのでしょう。
ちなみに、演歌歌手の西川峰子の結婚相手が代々後鳥羽院の墓守を務める村上家の末裔だというので一時話題になりましたが、たしか今離婚調停中だったはず。あ、どーでもいいですね(笑)。