コメント拝読

「声」や「狂言綺語」についてのもろもろの感想、楽しく拝読しました。

  • 20711123 ハシモトさん

天台浄土教での狂言綺語の考えは、たとえば下記のようなものです。

ある人の夢に、その正体もなきもの、影のやうなるが見えけるを、「あれは何人ぞ」と尋ねければ、「紫式部なり。そらことをのみ多くし集めて、人の心をまどはす故に、地獄に堕ちて、苦を受くる事、いとたへがたし。源氏の物語の名を具して、なもあみだ仏といふ歌を、巻ごとに人々に詠ませて、我が苦しみをとぶらひ給へ」と言ひければ、「いかやうに詠むべきにか」と尋ねけるに
きりつぼに迷はん闇も晴るばかりなもあみだ仏と常にいはなん
とぞ言ひける。                     
藤原信実『今物語』)

近くは紫式部がそらごとをもつて源氏物語を作りたる罪によりて、地獄に堕ちて苦患しのびがたきよし、人の夢に見えたりとて、歌よみどもの寄りあひて、一日経書て供養しけるは、おぼえ給ふらんものを。  
(平康頼『宝物集』)

今年は源氏千年紀。「紫式部が『源氏物語』という世界に誇る長編物語を書いた」というのが現代の我々の共通認識だと思いますが、赤字のように、紫式部は『源氏物語』で「そらごと」を綴った罪によって地獄に堕ちたのだと中世には考えられていました。これが天台浄土教狂言綺語観。それで、「紫式部を助けてあげなきゃ!ついでにそんなやばい物語を読んでいる自分たちも地獄に堕ちないようにしなきゃ」というムーブメントが起こり、『宝物集』にみえるように、信心深い施主・禅定比丘尼が、作者紫式部の魂を救うため、そして読者を罪から救うため、道俗貴賎に勧めて法華経二十八品を書写させたのです。これがいわゆる「源氏供養」で、藤原定家の母である美福門院加賀などが熱心に行っています。