声わざ

については次回の講義で関連論文を紹介しながらもう少し補足を。20611100ハカマダさんのご質問、「神歌」になぜ俗な恋歌が入っているかについて、秦恒平氏の以下のようなコメントが参考になるでしょうか。

「法文歌」といい「神歌」といい、信仰心にもとづく名であることは、ともあれ、言うまでもない。但し、私が著書『梁塵秘抄』(NHKブックス)に「信仰心と愛欲の歌謡」とあえて副題を添えたように、その「信仰」の心情にもすぐれて人間的な「愛欲」の情緒がまつわり、そのため一段と歌詞に魅力をましている。
 では、そうした歌謡群の担い手は誰だったのか。「法文歌」「神歌」のどちらにも・雑・の・今様・が数多く含まれているが、その主人公達は遊女、巫女、博打うち、狩人、山伏、下級士官、武士たちだ。『梁塵秘抄』は、庶民ないし当時社会的に賤視されていたほどの者の歌声で充満しており、彼らは錯雑したかたちで、・日本的・と言うしかない信仰と愛欲の諸相を諸国に担い歩き、播き、広げた。
 『梁塵秘抄』の魅力は、この、主として・雑・の歌謡群にこそ濃厚に、鮮烈に、純粋に認めることが出来る。この・雑・とは、また当時の人が・雑芸・とも呼んだ諸芸能の意気と意欲とにつながっている。『梁塵秘抄』はけっして仏教の本でもないのであって、その本性は「芸能」にあることを見定めなければならない。そのうえで、「芸能」と「信仰」とは、太古以来不可分に表裏していた固有の民族だとも、よく納得したい。
秦恒平梁塵秘抄のこと」(桃山晴衣アルバム『遊びをせんとや生まれけん』解説)より