扇の骨から見ること

これに関しては網野善彦氏のとても有名な論文がありますので、来週補足のプリントをお配りしますね。災いから身を守るというだけではなく、

とくに注目しなくてはならないのは、これらの事例がほぼ共通して、大道や河原、寺院や道場の周辺など、いわば「公界」の場でおこった異常な事態を見なくてはならない場合、あるいはそれを意識的に見ようとする場合のしぐさである点で、そこにこのしぐさの意味を考える手がかりを求めることができる。
(中略)
「公界」の場で、突発的に起こった出来事、突如としてその場の状況を一変させるような状況に遭遇したとき、あるいはすでに予想されるそうした事態に自ら加わるさい、手に持った扇で面をかくし、人ならぬ存在に自分を変える意味を、このしぐさは持っていたのではなかろうか
網野善彦『異形の王権』より「扇の骨の間から見る」)

ということです。この論文では「扇」の持つ意味についても言及していますので、お楽しみに。
ちなみに、「公界(くがい)」というのは中世史では非常に重要な概念です。縁切り寺のような、全ての事柄から縁が切れる「無縁」の場所。公権力の力が及ばない場所であり、あるいは有縁の論理が働かない場所。そして、そこでは身分だとか性差だとかは一切関係なく、全ての人が平等であり得たのです。「えんがちょ」の例を挙げましたが(知らない人の方が多いかも)、これも語源は「縁がちょん切れる」だ、などと言われています。意外なところで「無縁」の考えが脈々と伝わっているということですね。