そしてQ&A

  • 中世には盲人が多かったのか

予測できたことではありますが、これが一番多かった質問。確かに、医療が発達しておらず栄養状態も良くない時代ですので、今とは比較にならないほど疾病や障害を抱えた人が多かったであろうことは想像に難くありません。それと同時に、現代のような「養護学校」「盲学校」あるいは「福祉センター」といった類の障害者福祉・厚生施設は存在しなかったため、盲人だからという形で隔離されることがなかったという点も忘れてはならないでしょう。3年次の介護等体験で盲学校へ行く人もいるだろうと思いますが、現在だって目の不自由な人は沢山います。ただ、それがいわゆる「ケ」の生活とはかけ離れた世界の出来事になっていることが多く、それこそパラリンピックのような「ハレ」の場でしか彼らの活躍を見る機会がないだけなのです。これは果たして「共生」といえるのか。ある意味、現在は中世よりも後退している側面があるのかもしれません。
せっかくですので、岩波書店http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0230100.htmlから刊行されたこの本(ISBN:4000230107)をご紹介しておきましょう。上の参考文献でも紹介した広瀬氏は国立民族学博物館の助手。ご自身が視覚障害者であることがきっかけで、日本の民俗宗教と障害者文化・福祉の関わりについての歴史・人類学的研究に興味を持つようになったといいます。なかなか面白い本ですので、興味がある方は是非ご一読を。

  • なぜ盲僧なのか

これも多かった質問。まず、障害を持つ人間に対する一般の人々のまなざしを押さえておく必要があります。一方で「そのような身体に生まれたのは前世の報い」といったネガティブなとらえ方をしていたことは確かですが、その一方で障害を持つ人間を神の依り代としてとらえる考え方があったことを忘れてはならないでしょう。就中、「目が見えない」ことは、逆説的に、見えないが故にとぎすまされた感覚を持つという発想へと繋がり、それが神と人間との仲介役という特別な能力と結びつけられるようになったといえるでしょう。民間信仰のレベルにおいては、宗教者の呪力と盲人の「神との中継車としての特殊技能」はほぼ同じように信仰されていたようです。ここから「盲僧」が生まれるのは、もはや時間の問題。

  • 平家琵琶あるいは盲僧琵琶を語るようになる前は、盲僧達は何をしていたのか

残っている資料が中世以前に遡れないので、あまり具体的なことはわからないのが正直なところですが、縁起などの類によれば、根本中堂建立の際、夥しく出現した毒蛇を抑え鎮める祈祷をするために招請されたといいます。また、大蛇の出現に悩まされて盲僧を招いたという話もあります。蛇は水神・地神の化身ですから、それを祈祷によって鎮める盲僧に、「荒ぶる神」を抑える鎮魂呪術者としての姿を見ることができるでしょう。ただし、すべての盲人が宗教芸能者たる盲僧あるいは瞽女になれたはずもなく、それ以外の盲人は乞食のような生活を余儀なくされていたことも事実。

  • 盲僧が携える楽器が笛から琵琶に変わったのはなぜか

笛はその音色故に「神を呼び寄せる楽器」として宗教儀礼の中では早くから用いられていたようです。古代の宗教祭儀に使われた石笛が出土したなどというニュースを目にしたことがあるのではないでしょうか。しかし、地神盲僧も平曲も「一人の法師による弾き語り」という演奏形式をとりますので、笛はその伴奏楽器には適しません。笛を吹きながら語ることはできませんから。そこがそもそもの出発点だったのでしょう。それから、CDで聴いていただいた琵琶の骨太の音色。あれは、呪術的に神おろしのために用いられた「梓弓」とも繋がるものだといえるでしょう。弓を棒で叩いてボーンボーンという低い音を出し、それによって神霊を招き寄せるのです。そういう呪術性を持つ弦楽器、しかも携帯できる、というところから琵琶が語りと密接に結びつくようになったのでしょうね。ちなみに笛は、稚児物語の中で主人公の稚児が携帯する楽器として「お約束」のように登場します。聖なる稚児が吹く楽器として、その宗教性は失われていなかったのですね。